トップページ
プロフィール

最近のトラックバック

ホンマノオト トップ
« 回答「マルいハートやマルいアタマを育てるために大切なコト」 | トップページ | 東大の問題で、≪マルいハート≫と≪マルいアタマ≫を考える »

« 回答「マルいハートやマルいアタマを育てるために大切なコト」 | トップページ | 東大の問題で、≪マルいハート≫と≪マルいアタマ≫を考える »

2007年6月23日 (土)

回答「マルいハートやマルいアタマを育てるために大切なコト」(2)

回答「マルいハートやマルいアタマを育てるために大切なコト」のつづきです。前回“Creative Knowledging Program(CKプログラム)”の図を紹介しました。このCKプログラムの簡易バージョンをちょっとご紹介しましょう。

★企業の新卒研修や学校の教員研修のとき、ちょっとマルいハートやマルいアタマになって欲しいなぁと思う瞬間に使います。

★10人ぐらいのチームに分かれてもらい、輪になって座ってもらいます。そして素材はなんでもよいのですが―今までは灰皿、紙コップ、タオル、ペットボトル、カップラーメンの器、鉛筆・・・いろいろでした―、それを渡し、何でも良いからその素材について簡単に順番に語ってもらいます。

★前回紹介した図では鉛筆を使っていますから、鉛筆を渡したとしましょう。

★すると、順番に1人ひとりが語っていきます。

「鉛筆です」「表面が赤い色です」「表面に青が混じっています。」「断面図は六角形です」「芯は黒色です」「削りたてです」「鉛筆削りは自動鉛筆削りだったかもしれません」「鉛筆削りは手動だったかもしれません」「ナイフで削ってないですね」「芯を支えているサヤの素材は木です」「何の木だろう」「どこの木だろう」

★このぐらいまでくると1つ質問します。「みなさんの今までの語りに何か変化がありましか」と。すると、

「苦しくなりました」「言うことがなくなりました」「言うことがなくなったので、目の前の鉛筆から離れ始めました」

★はじめは怪訝そうなメンバーもいます。しかたがないから、やれというならという態度のメンバーがいるんですね。一方で、何が起こるのだろうとワクワクしているメンバーもいるし、緊張しているメンバーもいますが、この段階で、多くのメンバーがなるほどという目つきになってきます。そしてまた続けます。

「サヤの素材の木は国内産なんだろうか」「国外産なんだろうか」「アジア?」「ヨーロッパ?」「カナダ?」「中国?」「芯の素材はどこから」「芯の素材はなに?」「黒鉛だったかな」「炭素ってこと?」「もろいから違うんじゃないか」「他の素材も混じっているかも」「粘土?」「炭素ってことは、ダイヤモンドと同じ?」・・・

★話はどんどん進んでいきます。ここで、もう一度質問です。「今はどういう状態ですか?」

「知識が不足している」「わからないことが何か質問している」「イメージが広がっている」・・・

★「次は何をしたいですか」と尋ねると、

「調べたい」「インターネットを使いたい」・・・

★「では、今度は5人ずつチームに分かれて、今の語りを振り返って、わかったことを発表してください」と質問します。5分くらいワイガヤをやった時点で、発表してもらうと

「考えるプロセスのモデルだったと思います。なぜなら・・・」

「モチベーションを作り出す方法論だったと思います。なぜなら・・・」

・・・

★「はい、ありがとうございました。以上でこのプログラムは終了です。」と私は微笑みます。ここまでくるとたいていのメンバーは鉛筆という素材から離れて、プロセスの流れをそれぞれがイメージしている状態になります。しかし、10人いれば、2人ぐらいは、正解を教えて欲しいというクレイムを表情で訴えているメンバーがいるものです。

★このプログラムを始めた当初は、このプログラムの意図を教えてみましたが、必ず正解のないものは意味がない。意味がわからないと反発を助長するだけでした。

★クレイムを訴えるということは、理解して納得しようという前に、何言っているのか、何をやっているのかわからないということを言いたいのであって、表現は違うけれど、要するに受け入れられないというサインなんですね。だから、理屈ではなく、いかにフレキシブルなハートの状態に互いになるかということの方が重要だったのです。

★それなのに教えるという理屈で対応した私のほうに問題があったのだと気づきました。気づきや発見やモチベーションは、理屈では伝えられないのです。実感する環境をとことん追求するという学びの環境こそが重要だったのですね。実感の積み重ねが、やがて「あっ」という体験につながります。茂木健一郎さんなら、セレンディピティ(※)というでしょう。

※「観察」というのは、つまり、自分の主観では用意できないものを外から取り入れる行為である。だとすれば、当然「セレンディピティ」(serendipity)(偶然幸運に出会う能力)と関係する。セレンディピティという概念を思いついたのが、「経験主義」の国、イギリスのHorace Walpoleであることには深い含意がある。自分の思いこみにとらわれて、虚心坦懐に観察することを知らない人にはセレンディピティは訪れない。

★古代ギリシャ人なら「ユーリカ!」と叫ぶことになるでしょう。この状態はニュートンがリンゴの落ちる様子を見て、万有引力を発見したとか、アインシュタインが自分の理論は結局デカルトの認識論の証明だったとハタト気づいたとかいうエピソードに通じます。

★ともあれ、知識を教えないという学びの環境の追求が、「マルいハートやマルいアタマを育てるために大切なコト」なのですね。

コメント

この記事へのコメントは終了しました。